■妙覚寺の沿革
□昭和40年4月
いわき市湯本町(前常磐市)の火葬場跡地を旧常磐炭鉱と湯本財産区の合議により譲渡された開山上人(大越錬祐・寂中院日晢上人)はこの地に一寺建立の願をたて檀信徒の協力のもと本堂・庫裏の寺観を整備する。
□昭和43年9月
寺号公称の公許を得て霊光山妙覚寺となる。
□昭和55年10月
開山上人、突然の病により志半ばで遷化される。その遺志継承のため妻であった大越キヨ子を改名し妻・キヨ子は名を妙慧と改め出家得度する。住職承認まで代務住職として栃木県佐野市の妙顕寺貫主芝崎上人が代務となる。
□昭和57年10月
総本山身延山久遠寺より住職認証を得て、妙覚寺御宝前において代務第二世芝崎氏より法灯を継承し第三世として入寺する。以後寺門興隆の為尽力され布教に専念される。
60才になられた上人はここまで生きてこれたのは縁のあった人々のお蔭と世の中の方に何か役に立てればと寒行をはじめられた。小寒より檀信徒の家々を巡って、年中したの安泰を祈り、その浄財をいわき市社会福祉協議会へ寄付をした。
以後、妙覚寺の年中行事となり、寄付も毎年続けている。
□平成15年
妙覚寺の本堂・庫裏の老朽化が激しくなったため、第三世・妙慧上人は一念発起し、本堂の改修・庫裏の改築と寺観を一新する。